ビザンチン美術について!
実在しない国・・・・ビザンチン帝国!
モザイクをしていると「ローマ美術」や「ビザンチン美術」という言葉を良く耳にする。「ローマ美術」などは現在のイタリアの首都ローマの名が入っていることから、歴史に疎い方でもなんとなくイメージが湧くのではないだろうか。(・・・・なんか文章が硬いなぁ・・・どうしてもやわらかい文章が書けないのが目下の悩み・・・ごめんなさい)そこで今日は「ビザンチン美術」についての豆知識をひとつ。少しでもわかりやすくする為に・・・
先生・・・・mami 生徒・・・・愛犬マルコ と言う設定でやってみようと思います!おバカ漫才に少しお付き合いくださいませ(笑´∀`)
では・・スタート!
マルコ「mami先生!ビザンチン美術って、ビザンチン帝国の美術ってことでしょう?でもさぁ・・・ビザンチン帝国ってどこにあったの?今はないよね?」
mami「今はないわね。ビザンチン帝国を説明するのは少し難しいのよね・・・なんでかというと、ビザンチン帝国というものは本当はなかったのよ!」
マルコ「んっ!なにそれ?どういうこと?そんな説明じゃ全然わからないよ・・詳しく教えて!」
mami「あのね、ビザンチン帝国というのは、後から偉い歴史の先生がつけた名前であって、当時はだれも私達の国はビザンチン帝国です!と宣言した国民がいたわけではないのよ。それは東ローマ帝国という名も同じなの」
マルコ「ビザンチン帝国もわからないのに、東ローマ帝国なんてまた新しい名前が出てきたね・・・」
mami「あのね・・解りやすく言うと・・・昔のローマ帝国は現在のイタリアのローマに首都がもちろんあったのだけれど、あまりにも大きくなりすぎてローマには収まりきらなくなっちゃったのよ。だから現在のトルコのイスタンブールに新しい王様(コンスタンティヌス帝 306~337)が新しい首都を造ったの」
マルコ「なんとなく分かってきたよ」
mami「でもね、これが後にローマ帝国が分裂するスタート。この時代イスタンブールはコンスタンティノポリスと呼ばれていたんだけど、いくらそこに引っ越しまーす!と宣言したところで、すべてをローマからコンスタンティノポリスへ移すことは不可能でしょう?だって飛行機なんてないのよ!ローマからイスタンブールは遠いし・・いっぱい人がいるんだから!私ローマに居たいわという人も多かったの。だからローマ帝国は西のローマを中心とする西ローマ帝国と、東のコンスタンティノポリスを中心とする東ローマ帝国に分裂しちゃうことになったのよ。ここまではマルコわかった?」
マルコ「たぶん・・・でもビザンチン帝国が出てこないよ」
mami「あ~それはね、コンスタンティノポリスはもっと昔の古代ギリシャ時代にはビザンティオンと呼ばれていたのよ。だからね、どっかの偉い先生がこの地名カッコイイからビザンチン帝国でいいんじゃない!って決めたのよ」
マルコ「えー!カッコイイ名前だからビザンチン帝国になったの?」
mami「・・・・たぶんね・・・これはあくまで先生の意見だけどね・・・」
マルコ「やっぱりね・・・」
mami「あ・あのね・・まあ難しいことは置いといて!モザイク遺跡を見るうえでポイントとになることは・・・ローマ時代のモザイクよりもビザンチン時代のモザイクの方が、時代的に新しいということ!一般的に言われることは、ローマ時代は大理石モザイクが中心で、ビザンチン時代のモザイクは色ガラスが中心ということかな」
マルコ「先生・・初めからそれだけで良かったんじゃない?」
mami「・・・・やっぱり?でもさぁ・・・それだとすぐブログ終わっちゃうじゃない・・・」
マルコ「そんな落ち込まなくても・・・ねえ!気を取り直して!この写真も説明してよ」
mami「上のマリア様はイスタンブールのアヤソフィア。下の聖母子像はクロアチアのエウフラウシス聖堂のモザイクよ!素敵でしょう?」
マルコ「mami先生が撮った写真?」
mami「もちろんそうよ!」
マルコ「ボクを置いてこんな所に行ってたんだ・・・」
mami「・・・・・ごめんね」