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2018年 あけましておめでとうございます!

謹賀新年

皆様 明けましておめでとうございます。どのようなお正月をお過ごしでしょうか。私はお雑煮を食べ、お屠蘇を飲みながら箱根駅伝を応援しています。ただ母校の駒澤大学が失速してまして・・・居ても立っても居られなくなり、新年のご挨拶blogを書くことにいたしました。ひどいOBですよね(笑)

さて今年の抱負は、「仏画モザイクに真摯に向き合う」です。

先にも書きましたが、私は駒澤大学というアカデミックな場で、信仰とは違う角度から仏教学を学びました。私は現在モザイク作家として生活しておりますが、きっと私より高い技術を持っているモザイク作家は世界中にいると思います。ただその中で何で自分は勝負できるのか考えた時、迷うことなくそれは仏教学を学んだことだと思うのです。

モザイクはローマ帝国においてキリスト教と共に成長しました。識字率が低い古代において、民衆に聖書の教えをモザイク画で伝えたのです。そして現在のこの日本・・・・・お正月には神社に初詣に行き、亡くなるとお寺でお葬式をしますが、皆さんは何に自分が手を合わせ祈っているのか理解しているのでしょうか。私が大人になって大学に社会人編入をし、学部だけでは満足出来ずに大学院まで進んだ理由は正にそれを知りたいからでした。自分が祈っている対象はなにものなのか。

私のモザイク画でそれが少しでも伝えることが出来たなら。

何かを無心に信じることが出来ることはこの上ない幸せだと思うのです。でもそれは年を重ねるごとに、なかなかそれは難しくなります。人生において最悪な時、もし救われるなら悪魔でも怪しい新興宗教でもなんでもよいから救って欲しいと、心の底から思ったことがありました。ですが・・・その信仰の対象がどんなものか分からないものを無心に信じることは出来ませんでした。

今は自分なりの理屈の中ではありますが信じるものがあります。それは祈る心です。これ以上尊いものはないのではないかと思っています。

仏教学はよく宗教ではなく哲学だと言われます。それを表すように東京大学では仏教はインド哲学という枠組みで学ばれています。仏教の教えというのは奥深く全てを理解することは難解ではありますが、懇切丁寧に一つづつ私たちの疑問に答えてくれているのです。それは仏教だけに留まらず、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も同じことでしょう。人間の持ち得た言葉という宝によって、語り尽くされています。

ただ現代の私達が日常においてお経や聖書を読見込むことはなかなか難しいですね。ですからやはり現代も古代と変わらないのです。識字率の高い現代でも、人々に語りかけるのは断然宗教美術なのです。

ですから私も、そんな一旦を担うことが出来たらこれ以上の幸せはありません。

写真の孔雀明王モザイクは二年前に製作したものです。あまりに思いが強すぎるために今まで部屋に飾ることが出来ませんでしたが、今年からは部屋の中心に鎮座しています。これから毎日この孔雀明王様に見守ってもらい、新たな仏画モザイクを製作したいと思います。

改めまして

今年も昨年に引き続きマルコモザイチを何卒よろしくお願いいたします。

今年は一層、精進いたします。